高校バレーボール部が高3最後の大会を終えました。 2024年06月10日
高3の引退となるインターハイ予選が5月26日(日)に大妻多摩会場で行われました。明治学院高校を相手に1回戦善戦しましたが、残念ながらストレート負けを喫しました。中学から6年間続けてきた高3の選手たちがこれで引退となります。
キャプテンからのコメントが届きました。
高3バレーボール部 キャプテンより
私は中学1年生の時にバレーボール部に入りました。バレーボールを始めた時は、何も上手くはいきませんでした。サーブは相手コートに届かない。スパイクは打てない。オーバーハンドパスは飛ばない。そのような状態でした。しかし、唯一アンダーハンドパスは同じ学年の中でもできていたので、レシーブを専門とするリベロというポジションになりました。学年が上がるにつれレシーブがますます好きになり、バレーボールがとても好きになりました。
中学3年の時の中学生のチームとして最後の試合では調子が悪く、上手くいくことが少なくなり負けてしまいました。この時のとても悔しい思いは、今でも覚えています。だから「私はもっともっとレシーブを磨いてやる!」という想いで高校チームに入りました。
しかし、先生はスパイクを打てるようになろうと仰り、私はリベロからスパイカーになりました。私は少しガッカリしましが、スパイクをたくさん打っていくたびに、スパイクが打てるようになりとても楽しくなりました。スパイクだけでなくサーブにも挑戦するようになりバレーボールがさらに好きになりました。
高校2年生の夏の時、ポジションが変わり、セッターになりました。この時、私はスパイクへの執着があったので、スパイクが打てないポジションになり悔しさを覚えました。中学生の頃から出来なかったオーバーハンドパスを猛特訓するのは少し苦痛でしたが、自分が上げたトスで点が決まると、スパイカーの時よりも嬉しく思えました。
2個下の学年の後輩達が高校チームに合流した際、私は再度スパイカーになりました。以前私は力強いスパイクを打つことしか考えていませんでしたが、練習試合を重ねていくうちにスパイクは力強く打つことだけでは無いことがわかりました。フェイントやコントロールショットでブロックのすぐ後ろや人のいないところに打つことで、点が前よりも取りやすくなっていきました。それからは第3支部大会や春季大会で勝ち進むことが出来ました。
高校3年生の5月引退試合となるインターハイ予選は初戦敗退で、結果としてはとても悔しい結果になってしまいましたが、悔いの残らないよう全力を出して戦いました。
この6年間はとてもあっという間に感じました。それはきっとバレーボールが大好きで楽しくプレーをしたからだと思います。これは部活という場を設けて頂いた先生方、私達をサポートしてくださった先輩方、そして一緒に前へ進んで行った仲間のおかげだと思っています。これから部活としてバレーボールをすることは出来なく寂しい気持ちもありますが、私達が達成できなかった目標を後輩は達成してくれると期待しているので、今はとても未来が楽しみです。