沿革
本学園は、女子教育の先覚者下田歌子によって明治32年に創設されました。校祖は、華族女学校の学監や、学習院女子部の部長として当時の最上流の女子教育の骨格を作られた方です。 本校創設の契機は、明治天皇のお二人の内親王様の御養育係を拝命するにあたり、宮内省の命を受けて2年間の欧米女子教育視察を行ったことにあります。 そこで、先進諸国の女性たちの社会的地位の高さや、自立して生きる姿を目の当たりにし、日本における一般庶民の女子教育の必要性を痛感されたのです。 そして帰国後、「揺籃を揺るがす手は、以て天下を動かす」「女性の清らかな徳性をもって、社会の弊を正せ」という信念のもと、帝国婦人協会を設立して全国に支部を置き、女子教育の普及を呼びかけました。 そして自らの私財を投げ打って、本校を創設し、83年の生涯の最後まで校長として情熱を注ぎこまれたのです。
1882年 (明治15年) | 校祖下田歌子、本校の前身である桃夭学校を麹町区一番地に創設。 |
1899年 (明治32年) | 麹町区元園町に実践女学校・女子工芸学校を創設、5月7日に開校式を挙行。 |
1902年 (明治35年) | 「清国女子速成科」を設置し、清国各省より留学生の受け入れを開始。 |
1903年 (明治36年) | 府下渋谷村常磐松(現在の渋谷区東)に校舎を新築し、移転。 |
1908年 (明治41年) | 当初の二校を併合し、実践女学校と校名を統一。さらに実践女学校中等部と改称。 修業年限2年の高等専門学部を設ける。(現女子大の前身) 実践女学校の全財産および下田歌子の私財を寄贈して、財団法人私立帝国婦人協会実践女学校を設立、下田歌子理事長に就任。 |
1911年 (明治44年) | 実践女学校中等部を高等女学部と実科高等女学部の二部に分かち、高等専門部を専攻科と改め高等技芸科を新設。 |
1932年 (昭和7年) | 実践女学校各部の名称を実践高等女学校、実践女子専門学校、実践実科高等女学校と改称。 校内に寄宿舎「常磐寮」竣工。 |
1934年 (昭和9年) | 実践実科高等女学校を実践第二高等女学校と改称。 |
1935年 (昭和10年) | 財団法人私立帝国婦人協会実践女学校を、財団法人帝国婦人協会実践女学校と改め、下田歌子理事長(終身)に就任。 |
1936年 (昭和11年) | 10月8日、下田歌子校長兼理事長逝去。 |
1947年 (昭和22年) | 新教育制度により実践女学校を改め、新制の実践女子学園中学校を設立。 |
1948年 (昭和23年) | 新制の実践女子学園高等学校を設立。 |
1949年 (昭和24年) | 実践女子大学を設立。創立50周年記念式典を挙行。 |
1950年 (昭和25年) | 実践女子短期大学を設立。(当時名称、実践女子学園短期大学) |
1966年 (昭和41年) | 大学院を設置。 |
1976年 (昭和51年) | 東京都日野市に短期大学を移転。 |
1986年 (昭和61年) | 日野市に大学・大学院を移転。 |
1999年 (平成11年) | 創立100周年記念式典を挙行。(東京国際フォーラムにて) |
2004年 (平成16年) | 校祖下田歌子生誕150年記念式典を挙行。(渋谷校地にて) |
2005年 (平成17年) | 3月、渋谷校地に新校舎(下田歌子生誕150年記念「桃夭館(とうようかん)」)完成。 |
2007年 (平成19年) | 中学校帰国生入試を開始。 |
2008年 (平成20年) | 国際学級「グローバルスタディーズクラス(GSC)」開設。(2018年4月より、GSCの募集停止。全クラスをグローバル化へ) |
2011年 (平成23年) | 創立120周年記念体育館竣工。 |
2014年 (平成27年) | 実践女子大学・同短期大学部の一部を渋谷校地に移転し、日野校地との2拠点化を図る。 |
2019年 (令和元年) | 創立120周年 |
2024年 (令和6年) | 創立125周年 |