お知らせ

トップ > お知らせ > 2025年度 > 【校長室の窓から】創立記念日に寄せて

【校長室の窓から】創立記念日に寄せて 2025年05月07日

 本日5月7日は、実践女子学園の126回目の創立記念日です。

 5月7日を創立記念日としているのは、明治32年5月7日に、実践女学校・女子工芸学校の生徒合わせて40名の最初の入学式が行われたことによります。これ以来、最初の入学式の5月7日を創立記念日としてきたのです。

 本日は、創立記念日にあたって、本校の校歌をめぐって記したいと思います。
 本校の校歌が最初に定められたのは、創立から5年後の明治37年7月で、下田歌子先生作詞の歌詞に、澤田孝一が曲を付けたものでした。明治期においては、学校の創立と同時に校歌が定められるわけではなく、本校の校歌が制定された時期は、むしろ明治期としては、かなり早い時期に属しています。下田先生の華族女学校での経験(華族女学校で校歌が定められたのは明治20年)に基づく、先生の見識、先見性によるものと考えられます。
 その歌詞は、
  千代の常磐の松かげに 開く学びの窓の竹 
        君が恵の露うけて しげれ操の色ふかく
というもので、現在の歌詞とは異なります。作曲者の澤田孝一は、東京音楽学校の第一期生で、すぐれた音楽家であり、音楽教育の専門家として、後に新潟高等女学校の教員となった人物です。

下田歌子先生喜寿記念日

 現在の校歌の歌詞となったのは、昭和7年11月3日、先生の喜寿記念に合わせて、下田先生自身が当初の歌詞を以下のように改詞したこによります。
 ときは松の下かげに 開くをしえのには桜
       君がめぐみの露浴びて にほへやしまの外までも
 
 11月3日には、下田校長の喜寿記念として、石碑の除幕式が催されています。碑の上部には竹田宮大妃昌子内親王の筆による「修理固成」の篆額を掲げ、その下に、この歌詞が先生の自筆で刻まれています。碑の裏には、三度に及ぶ御料地払い下げの記録が記されています。この碑は現在もグランドと実践女子大学東門の間の本校敷地内に今も残っています。

 改詞の重要なポイントは、言うまでもなく、「にほへやしまの外までも」の最終句です。
 「にほへ」は古典語の意味で「輝け」、「やしま(八島)」も同じく古典語の意味で「日本国」のことです。すなわち「輝きなさい、日本の外までも(世界へ)」という意味になります。昭和初期の段階で、グローバルな教育の視点を校歌に表明していることは驚くべきことであり、現在でも決して色あせることのない教育的な視点です。
 
 下田先生には明治41年頃に、当時の教え子たちに向けて詠んだ次のような歌があります。
  ときはなる 色も深めて ことくさに たちまさらなむ やまとひめ松
全体の意味をとって訳しますと「日本女性の良さを更に深めて、外国の女性にも負けない生き方をなさい。日本の乙女たちよ」という意味になります。この歌から明治41年には「にほへやしまの外までも」に通ずる想いが、下田先生の中にすでにあったことが分かります。

 創立記念日にあたって、校歌に込められている下田歌子先生の熱いメッセージを確認していただければ幸いです。

ページトップへ