校祖下田歌子先生のご命日にあたって 2026年10月08日
校祖下田歌子先生のご命日にあたって
実践女子学園中学校高等学校校長 湯浅茂雄
本日は校祖下田歌子先生のご命日にあたります。下田歌子先生は、昭和11年10月8日午後11時に、青山北町の御自宅にて永眠されました。女子教育に生涯を捧げた82年の生涯でした。ご遺骨は同14日に文京区の護国寺に埋葬されました。さらに同年12月6日には故郷の岐阜県恵那市岩村にある乗政寺山墓地に分骨埋葬されました。隣にはご主人であった故下田猛雄さんのお墓があります。本年は、校祖の没後90年目にあたります。
ご命日にあたり、下田先生に関して、私が生徒たちに伝えている内容をご紹介して、先生のご遺徳を偲びたいと思います。
中学1年生には、下田先生について学ぶプログラムがありますが、そのまとめとしての9月に、私は各クラスに赴いて「下田歌子先生に学ぶ」という授業をしています。今年度で6年目になりました。下田先生の生涯から、これは知っていてほしいい、学んでほしいという内容を何点かに絞って話しています。そのうちのいくつかを紹介します。
西門プロムナード ホトトギス
第一に、先生が16歳の時に故郷岩村に別れを告げる時に歌、「綾錦の歌」(綾錦着て帰らずば三国山またふたたびは越えじとぞ思ふ)に表明された「若き女性の高き志」が本校の原点であること。皆さんも本校で大きな夢を見つけ、その実現に向けてのきっかけを掴んで欲しいと話しています。
第二に、本校の建学の精神である「女性が社会を変える 世界を変える」は、下田先生が起草した帝国婦人協会設立趣意書にある「揺籃を揺るがすの手が以て能く天下を動かすことを得」の言葉から来ていること、その趣旨を分かり易く表現したものであること。下田先生が本校を作るにあたって、皆さんにそうなって欲しいと強く望んだ教育の方針であること。
第三に、創立時の実践女学校、女子工芸学校の2校と同時に設立された慈善女学校、下婢養成所の2校が設置されたことの意味は大きいこと。下田先生は徹頭徹尾、女性の味方であり、弱者に手を差し伸べようとする強い意志をもっていたこと。先生の社会福祉事業家としての側面は、本校創立時からのものであったこと。
第四に、下田先生が、各地の女子教育機関の創立に関わったのは、女子教育を広めるためであり、その点、実践は、女性の地位向上を図る拠点であったこと。ここにも、先生の志の大きさが見て取れること。清国女子留学生を最も多く受け入れた女子学園であったことも、先生の志が、国の枠組みを超えて、大きな視野を持っていたといえることを伝えています。
第五に、下田先生は生涯学び続ける力を持ち、生涯学び続けた方であったこと。明治・大正・昭和を通じて、生涯教育のモデルような女性であるので、皆さんも、ぜひ下田先生に学んで、生涯学び続ける力をこの学校で身に着け、生涯学び続ける人になってくださいと話しています。
以上、「下田歌子先生に学ぶ」の授業の内容の一部を紹介しました。校祖下田歌子先生のご命日にあたり、下田先生の志の大きさとその業績を再確認していただければ幸いです。









