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創立記念日に寄せて—下田歌子先生のこころざしを想うー 2024年05月07日

 本日5月7日は、実践女子学園の125回目の創立記念日です。
本校は、校祖下田歌子先生によって明治32年(1899年)に創立されました。その時に設置された実践女学校・女子工芸学校が発展し、現在の実践女子学園の基礎ができたことはよく知られていますが、同時に設立された下婢養成所と慈善女学校の2校についてはあまり知られていません。「下婢養成所」(女子工芸学校の付属の位置づけ)は、当時の女性の召使いのための学校で「篤実忠誠なる」人物を養成する学校であり、「慈善女学校」(実践女学校の付属の位置づけ)は「孤独貧困なる女子を教育して之に自活の場を授くる」学校でした。
 先生の取り組みがあまりに時代に先行していたためか、この2校には生徒が十分には集まらず、間もなく閉校となりましが、2校の設置の意味は決して小さくありません。下田歌子先生は徹底して、女性の応援者であり、社会的弱者の救済者でありました。下田先生の生涯の業績からは社会福祉事業家としての一面が強く現れていますが、学園創立時のこの2校の設置にもすでに現れているとみるべきです。

実践女学校設立認可書

 先生は後(大正9年)に愛国婦人協会会長に就任しますが、大正12年9月の関東大震災に際しても、学園を率いて、被災者の救援、その後の社会的弱者の救済に当たっているのです。創立記念日にあたり、下田先生の本学園創立時の志の大きさと、深さを想います。
 また、5月7日という日付の意味も確認して置きたいと想います。この日付は、設置申請先である東京府知事千家尊福(たかとみ)からの認可日と学園の開学(入学式)に関わる日付です。すなわち、まず、実践女学校と女子工芸学校及び付属下婢養成所の3校が、明治32年4月18日に認可され、実践女学校付属の位置づけであった慈善女学校はやや遅れて5月4日に認可されました。このようにして5月初めには4校揃って認可され、5月はじめに入学試験があり、5月7日に、実践女学校・女子工芸学校の生徒合わせて40名の最初の入学式が行われたのです。これ以来、最初の入学式の5月7日を創記念日としてきたのです。 

 本校の原点は、下田先生が16歳で故郷を出立したときに読んだ「綾錦の歌」(綾錦着て帰らずば三国山またふたたびは越えじとぞ思ふ)に表明された「若き女性の高き志」と決意です。
 生徒のみなさんには、創立記念日にあたり、この原点にかえって、それぞれが高い目標に向かって着実な歩みを進めてくれることを期待しています。

 また、今年度は学園創立125周年を記念して様々なイベントが企画されています。直近のイベントでは、6月2日(日)に本校の桜講堂を開場として、「JISSEN Global Way —実践社会で育てるこれからのグローバル化—」が開催されます。基調講演には池上彰氏をお招きし、シンポジウムには本校生徒も登場します。多くの皆様のご来場をお待ちしています。

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