校歌について 2023年12月13日
(講堂朝礼での言葉をお届けします。)
本日は校歌について話します。下田歌子先生が作詞された校歌の歌詞の意味を正しく理解したうえで、校歌を歌って欲しいからです。
以下は、生徒手帳にも掲載してありますが、下田先生自筆の校歌の色紙です。
これを、先生が仮名で書いたところはそのまま仮名で、漢字で書いたところはそのまま漢字にして、現行通行の字体に直し(翻字といいます)、濁点を補うと次のようになります。
下線を施した言葉を説明していきます。
常磐の松
本校の創立の地は現在の千代田区麹町でしたが、直ぐに生徒が多く集まるようになり、校舎が手狭になったので、明治三十六年に、皇室の御料地を拝借し、新校舎を建設して移転しました。それが現在の校地です。その当時、ここは「常盤松」と呼ばれるところだったのです。その地名のいわれについては、本校から歩いて数分のところに「常磐松の碑」が建っています。
幕末の頃、この辺りは薩摩藩島津家の下屋敷があって、その庭園に「常盤松」と呼ばれた名木があったそうです。この名木は、源義経の母であった常盤御前お手植えの松との言い伝えがあり、この言い伝えを後世に残すため、島津家の家臣がこの碑を建てました。
「常磐の松」は、一年中緑の葉を保つ松という意味と、地名としての意味との両方の意味を掛けているのです。このような表現技法を「掛詞」といいます。
以上を踏まえて、校歌の歌詞を、字句の意味の通りに訳す「直訳」にしますと、以下の意味になります。
【直訳】
一年中、緑の葉を保つ松の木陰に
花ひらいた、学びの庭の桜花よ
天皇のめぐみの露を浴びて
光り輝け、日本の外までも
また、さらに掛詞の技法による意味も考慮して訳す「意訳」では以下の意味になります。
【意訳】
常磐松校舎で教育を受けて
成長してゆく生徒たちよ
天皇陛下の恩恵によって
日本だけでなく海外まで照らすほど美しく光り輝きなさい
下田先生は、昭和7年に、それまでやはり先生が作詞された校歌の歌詞を直され、現在の歌詞が確定しました。以来91年間、歌い継がれてきたのです。特に「にほへ 八島の 外までも」の最終句は、この時に新たに直された部分です。
生徒たちに、世界の舞台で活躍して欲しいという熱い想いを込められたのです。現代でも色あせないグローバルな教育の視点です。
今後、皆さんが校歌を歌う機会を増やしていきたいと考えています。校祖下田歌子先生が校歌を通して、皆さんに向けた熱いメッセージを胸に留め、歌っていただきたいと願っています。