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校祖下田歌子先生のご命日にあたって 2022年10月08日

 本日は校祖下田歌子先生のご命日です。下田歌子先生は、昭和11年10月8日午後11時に、青山北町の御自宅にて永眠されました。女性を応援し続け、女子教育に生涯を捧げた82年の生涯でした。

 ご遺骨は10月14日に護国寺に埋葬され、続いて2カ月後の12月6日には、故郷(岐阜県恵那市岩村)の乗政寺山墓地に分骨埋葬されました。隣にはご主人であった故下田猛雄のお墓があります。本年は校祖の没後86年目にあたる年です。校祖のご命日にあたり、そのご偉業を偲ぶとともに、先生の目指したものを再確認したいと思います。

 校祖下田歌子先生は、女性の社会的な地位がほとんど問題とされなかった時代において、いち早く女性の地位向上を目指し、その基礎が女子教育にあることを確信していました。教育により、女性の品格を高め、さらに実践的な学業を授けることで自立の基礎とし、社会に貢献できる女性を育成しようとしたのです。その拠点としての実践女子学園の創立(1932年)だったのです。「拠点として」と言ったのは、校祖の志は、「実践」さえよければいいというような限定されたものではなかったからです。各地の女子教育機関の創立や運営に積極的に関わることで(新潟青陵学園、広尾学園…等々)、女子教育機関の輪を広げることに成功し、近代女子教育の確立という財産を私たちに遺してくださったのです。私たちは確実に、その恩恵に浴しています。

 本校の創立に関わる文章(『帝国婦人協会設立主意書』)の中で、校祖は「揺籃を揺るがすの手は以てよく天下を動かすことを得」という言葉を残しています。揺籃は揺りかごです。揺りかごをゆする手は、現在では男女の別はありませんが、そのような愛情に満ちた手で、社会や世界を支え、変える手となれ、そのような気概を持って学び、実践し、社会に貢献しなさいという教えです。この教えは、今も色あせていないばかりか、ますます輝きを増しています。校祖は、ほかの誰かではない、あなたこそが社会を変え、世界を変えるのですよ、という思いを皆さんに伝えたようとして、この学園を作られたのです。皆さんには、この下田先生の「高い志」と、「社会や世界を支え、変える手」の教えについて、本日、今一度、胸に刻んでいただきたいと思います。

 最後に、下田先生の時世の和歌1首を紹介します。お亡くなりになる1週間前に作られた4首の内の1首です。
  呉竹の ふしどの中に学びえし 道を伝へむ まてや教へ子
 意味は、これまで私が学んで得ることができた、人としての生き方を、あなたたちに伝えたいのです。待っていて欲しい、教え子たちよ。というものです。先生らしい歌です。お亡くなりになる直前まで、何よりも生徒のことを考えていたのです。校祖下田歌子先生は多くの文章を残されています。皆さんも、是非、そこから沢山のことを学んで欲しいと願っています。

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