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校祖下田歌子先生のご命日にあたって 2021年10月08日

校祖下田歌子先生のご命日にあたって

 お亡くなりになる直前まで、生徒を校長室の前に集めて訓話をなさっていた校祖下田歌子先生は、昭和11年10月8日午後11時に永眠なさいました。全身全霊を女子教育に捧げた生涯でした。10月13日に学校葬を執り行いましたが、教職員、生徒一同の泣き声、悲しみは、学園に満ち満ちたと伝えられています。
 ご遺骨は10月14日に護国寺に埋葬されました。さらに12月6日には故郷の岐阜県恵那市岩村にある乗政寺山墓地に分骨埋葬されました。隣にはご主人であった故下田猛雄さんのお墓があります。本年は、校祖の没後85年目にあたる年です。
 校祖のご命日にあたり、下田先生の御遺徳を偲ぶとともに、先生の目指したものを再確認したいと思います。

 下田歌子先生は幼名を平尾鉐といいました。現在の岐阜県恵那市岩村にあった藩校の教授職の家に生まれましたが、明治4年、16歳の時に故郷に別れを告げ、以後、東京を生活の拠点としました。「綾錦」の歌(綾錦着て帰らずば三国山またふたたびは越じとぞ思ふ)に表明されたように、故郷の旅立ちに際して、鉐少女は強い決意と高い志を抱いていました。その思いは、この旅立ちの28年後、女性の学び舎である本校を創立することに結実したのです。明治32年のことです。その後の発展を含めて、下田先生は、女性には教育は必要ないとまでいわれた時代を変えたのです。本校の原点は若き女性の高き志です。
 また、本校の創立に関わる文章の中で、校祖は「揺籃を揺るがすの手は以てよく天下を動かすことを得」という言葉を残しています。揺籃は揺りかごです。揺りかごを揺する手は、現在では男女の別はありませんが、そのような愛情に満ちた手で、社会や世界を支え、変える手となれ、そのような気概を持って学び、実践し、社会に貢献しなさいという教えです。この教えは、今も色あせていないばかりか、ますます輝きを増しています。
 生徒の皆さんには、本学の原点である「高い志」と、「社会や世界を支え、変える手」の教えについて、本日、今一度、胸に刻んでいただきたいと思います。
 下田先生は、欧米女子教育視察の間に、政府の高官に書簡を送り、その中で「私は百年の長計をたて候」と述べています。多くの困難があった視察旅行中にあっても、国の将来を心配していたのです。この「百年の長計」が一般女性の教育であり、本校の創立であったのです。
 よりよい社会、世界を実現するために、女性の社会的役割がますます重要になっています。校祖の「百年の長計」はいまだに達成されていません。われわれは、明治という時代に「女性が社会を変える、世界を変える」と唱えた創立者の志を受け継ぐ者です。常に原点を検証し、現在と未来の要請に応えながら、「百年の長計」の完遂に全力を傾けていきたいとの決意を新たにしています。

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