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校長室の窓から「なぜ学ぶのか」 2021年06月15日

(中学校・高等学校朝礼講話をお届けします)

 私たちは何故学ぶのでしょうか?あるいは学ばなくてはならないのでしょうか?
今日はそのことについて一緒に考えていきましょう。

 なぜ、学ぶのか?皆さんはどう考えますか?受験勉強のためでしょうか?一生懸命勉強して、よい大学に入り、一流の企業に就職し、裕福な生活を得るためでしょうか?
そのように考えることも間違いだとは思いませんが、それは学ぶことの目的や意味ではなく、学んだことの一つの結果なのではないでしょうか?
目的であるならば、よい大学に入り、一流の企業に就職出来たら、学ぶ必要はなくなってしまうのでしょうか?そんなことはないと思います。当面の目的のために、それを達成するために、その都度学び、それを継続できることは素晴らしいことです。学びのきっかけになり、その先にある、学びの大きな意味に近づくと考えるからです。
 また、学ぶのは、教科の勉強ばかりではありませんよね。部活や委員会活動を通しても、お友達とのお付き合いを通しても、また、教科の以外の先生のお話からも、多くのことを学んでいるはずです。
皆さんには、学びの場面を広く捉えていただきたいと思います。柔軟に吸収する頭脳と心を持つ皆さんのような年代では、すべてが学びといって良いかもしれません。その時々に、学びの意識を持ってくださるといいと思います。意識するかしないでは、大きな違いがあります。また、何を学んだかを振り返ってみることは大きな効果が期待できます。
 
それでは、改めて、学びの大きな意味とは何でしょうか。

真理がわれらを自由にする

人間は誰しもが向上心を持っていると信じています。その向上心に強く関わるものに知的好奇心があると私は考えています。私たちは、本能的に、知りたいのです。1つを知れば、その次、それを知れば、その次を知りたくなります。これを繰り返せば、自分を取り巻く世界の理解が深まるとともに、自分と距離、関わりが分かってきます。結局は世界との関係の中での自分を発見につながるのです。知的好奇心の強さには個人差もありますので、誰でもが知的好奇心を発揮できるように学校があるのです。
本校のポスターの標語「日本を知る 世界を知る 自分の役割を知る」をご存じですね。
学ぶことなくして、自分の役割を、自分を知ることは出来ないのです。

皆さんの可能性は無限大です。自分を磨き、無限の可能性を拓くために学ぶのです。その場が学校であり、皆さんにとっては本校がその場です。目前に迫った目標もいいのですが、それ以上に、あなたらしく、長い人生をどのように生きたいのかという視野をもって、志高く学んでください。

学んで知りたいことを、大きくは「真理」と表現します。「真理」は簡単な言葉ではありませんので、ここでは「本当のこと」と言っておきます。本当のことを知りたいのです。本当のことを知ることは、我々を様々な制約から解き放ちます。頭脳を柔らかくし、心を豊かにします。このような状況を「自由」と表現することができます。

学ぶものが必ず辿りつく最高峰の図書館の1つに、国立国会図書館(満18歳以上であればだれでも利用できます)があります。その目録ホール(本を借りたり返したりする場所)の壁には「真理がわれらを自由にする」という標語が日本語とギリシャ語で刻まれています。
言葉の由来は「ヨハネによる福音書」と言われていますので、古い言葉です。はるか昔の先人達が学びから得た言葉として、重く深い意味をもった言葉です。
 

高3の皆さんの中には、もう国会図書館を利用できる年齢に達している方もいますし、多くの皆さんは大学に進学し、授業の課題解決のために利用することになろうかと思いますが、この言葉を是非、覚えておきましょう。「真理がわれらを自由にする」です。 

学んで知ることのいくつかの段階

4つの段階です。
知らないことを知らない段階、知らないことを知っている段階、知っていることを知らない段階、知っていることを知っている段階です。
学びは、知らないことを知らない段階から始まります。初歩の段階です。勉強して知ったことに満足してしまっている段階です。でもここから勉強が進むと、自分が知らないこと沢山あることに気がつくようになってきます。これが次の段階です。そうなってくると、知らないことをもっともっと知りたくなります。なんで?なんで?と先生を質問攻めにするかも知れません。更に学びが進むと、一杯、勉強してきて、かなり知っていることが増えているのに、自分は何も知らないと悩む段階があります。さらに学びが進むと、知っていることと、知らないことが区別できるようになります。一番進んだ段階です。知っていることを知っている段階とは、全てを知っているという意味ではありません。知っていることと、知らないことを区別できるという意味です。皆さんも卒業までに、最後の段階を目指して行きましょう。

教科の学び

皆さんが日々の時間割に設定されている、各種教科内容は、古今東西の人類の知恵の宝庫であり、それが凝縮されたものです。それらが学ぶ順番や、内容の難易度などから整理されて、学びやすく教科書の形などに整えられているのです。過去のことばかりではありません。先人達の知恵の経験から、未来に生きるために必要な知恵や未来に対応する知恵も用意されています。
 ですから、教科を学ぶことは、先人達の、人類の知恵を受け継ぐことです。受け継いだものの上に立って、さらに知恵を前に進めるのは、皆さん自身です。皆さんの学びにかかっています。だから皆さんは、私たちにとって、未来への希望なのです。
 日々の教科の勉強に精一杯取り組んでください。

 自分の頭で考える、自分の心で感じる

皆さんは、当たり前のことと思うでしょうか?
でも、振り返ってみてください。周りの多くの人や、影響力のある人が言っているから、自分もそうだと考えたり、感じてはていないでしょうか?そういう目でもう一度、自分の考えや感覚を確かめて、やはり同じであるならばいいのです。もちろん、わざと人と違う意見を言ったり、感覚を表現しましょうと言っているのではありません。
真剣に学び、経験することによって、他者の意見や感情に左右されない、しっかりした自分の中心、中核を本校を卒業するまでに獲得してください。
私は、企業の採用を担当する方とお会いすること多くありました。その時、採用面接でどこを見ているのかを聞くことにしています。そこで共通する答えの1つが、受け売りの言葉ではなく、自分の言葉で語れるかどうかを見ると言われます。それは大学の入学試験に関して、多くの面接を担当してきた私の見方と見事に共通するものでした。

自分の頭で考え、自分の心で感じることが出来れば、それは自然に、皆さんは「自分の言葉」を獲得することになります。それは、真剣に学ぶからそうなるのです。自分の言葉で語れる人を目指してください。

学び続ける力

最後に「学び続ける力」についてです。学び続けることは、実は簡単ではありません。学びの機会が十分になかった人が、急に学ぶことは出来にくいにくいのです。皆さんのように、柔軟な頭脳と心を持っている時に十分な訓練を経ていないと、急に学ぶことは出来ないのです。また、皆さんのような機会を得られても、学校を出てしまうと、学ばなくなってしまう人もいるかも知れません。
学校で学べることは、大学を卒業できたとしても、ごく一部の内容です。でも学校で学ぶ方法や習慣を身につけた人は、学び続ける力を持った人であり、生涯学び続けることが出来ます。日本や世界、そして自分をもっともっと見極めることをしないで人生を終えることは残念ではありませんか?
現在も、人生100年時代と言われていますが、皆さんの未来には、それがより現実的なものなります。経済的な豊かさ以上に、心の豊かさが何よりも必要とされる時代が皆さんを待ち受けています。

「学び続ける力」という生涯通用する財産を獲得するきっかけを、本校で是非手に入れてください。

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