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下田歌子と大日本少女会『日本の少女』 2021年05月30日

下田歌子と大日本少女会『日本の少女』

記事4月15日「自然に親しむ力」の中で、「稿を改めて」とさせていただきました内容について記させていただきます。

多彩な分野で、精力的な活動を続けた校祖下田歌子の82年(満年齢)の生涯には、学園史にも記録されてこなかった活動の側面が存在します。下田歌子が会長を務めた大日本少女会とその機関誌『日本の少女』との関わりもその一つです。
大日本少女会『日本の少女』は明治38年6月25日に第1巻第1号が創刊されます。以降月1回発行で、明治42年3月の第6巻3月号の刊行まで確認できます。学園大学図書館には第1巻第3号(明治38年8月25日発行)のみが所蔵されています(写真1)。なお本誌の第5巻1号からは竹下夢二も会員として名を連ね、第5巻4月号の表紙絵は夢二の手によるものです(写真2)。

写真1 第1巻第3号

写真2 第5巻4月号の表紙絵

  大日本少女会は『日本の少女』の創刊時には会長は決まっていなかったようですが、明治38年8月25日発行の第1巻3号に下田歌子の「就任の辞」が巻頭を飾ります。創刊号発刊以降この時までに会長に就任したのでしょう。この時期の下田歌子は極めて多忙でした。すでに華族女学校の実質的な校長職であるとともに、帝国婦人協会の会長も務めていました。明治32年には本校を創立し、明治34年には清国女子留学生の受け入れも開始していました。また明治36年は麹町元園町にあった本校校舎を現在の渋谷常磐松に新築、移転した年でもありました。第1巻3号の「就任の辞」には、多忙ゆえに最初は会長就任をためらったが、発起人諸氏の熱心な要請に動かされ、「愛する会員諸氏の為に、好(よ)き伴侶(つれ)となろうと決心」したと述べています。
 大日本少女会設立と機関誌『日本の少女』発行の目的は、同じく第1巻3号の「大日本少女会設立の趣旨」(下田歌子起草)に端的に示されています。即ち「清浄無垢、温乎として玉の如き全国の少女を糾合し、彼等の教師及び家庭と相提携して、我が婦人界の根本的改善を図らんとする」ものです。「大日本少女会規則」第2条にも「本会は学校及び家庭の教育を助け、大日本の少女をして健全なる発達を為さしむるを目的とす」とあります。
 『日本の少女』は会費を納めた会員に月1回配布されました。第3巻2号には国内外の会員数が紹介されていますが、それによれば明治39年7月調べで9154名とあります。国外では、中国、台湾、韓国に会員がいました。
 毎号の雑誌の内容は、会長下田歌子の巻頭言、賛助会員による講話、おはなし、会員の投稿、大日本少女会の各地支部や各地の日本の少女懇話会の活動報告などからなります。下田歌子の巻頭言は、現在入手できたもので16編あります。たとえば「少女の覚悟」「風の注意」「摘草」「夏期休業」「お花見」「卒業の後」「電車に就きて」「女学生の模範」などの題からもうかがわれるように、少女、女学生の生活に即した、慈愛に満ちた諭しの内容が多く、本校の校長としての下田歌子を彷彿とさせる文章です。また、これまで知られて居ない下田歌子の文章ですので、いずれ、原文を広く公開できる機会を期したいと考えています。
 また、会員少女の投稿は、作文、日記、図画、一口話しなどがあり、他に、絵さがし、字さがし、謎々などいわゆるクイズの回答を寄せるものや、編集部に対する質問などがあります。会員の少女の年齢層にはかなりの幅がありますが、第1巻3号の会員投稿で年齢が分かる範囲で見ますと、8歳から15歳の投稿が多いことが分かります。

 これらの記事には少女の身辺を案じた内容が多くあります。一例を紹介します。
「電車について」(第4巻6号 明治40年6月1日)という巻頭言です。これも当時の状況を踏まえた文章です。東京に電車が走ったのは明治36年に東京電車鉄道(品川ー新橋) 、東京市街鉄道(数寄屋橋ー神田橋)、東京電気鉄道(土橋ー御茶ノ水)が相次いで各区間を開業したのに始まります。下田がこの記事を書いた明治40年には、三社が合同した東京鉄道の運営となっていましたが、人身事故が少なくなく、それを案じての記事となっています。電車が完全に止まってから乗り降りをすることや、軌道を横切る時には左右をよく見て渡ること、時間的な余裕をみて乗ることを注意し、車内のマナーや態度についても、「車中では、すべて慎み深く、人の迷惑にならぬやうに」すべきことを述べ、席を譲られた場合には「丁寧に礼意を表」すべきこと、知らない人とは馴れ馴れしく話さないこと、年下の子供や老人には席を譲るべきことを諭しています。
 まさに今も、私たちが生徒さんに注意する内容と重なるもので、校祖に親近感を覚えます。
 これら巻頭言の文章は、すべて時宜を得た内容であると同時に、少女、女生徒の発達段階を意識した語り口で、極めて具体的な注意や心構えを諭した慈愛に満ちた文章です。
 
 校祖の教育者としての一面が具体的に伝わるものとして紹介させていただきました。

(校祖と大日本少女会『日本の少女』との関わりは『創立120周年記念 実践女子学園史(1999~2018)』の資料編、「実践女子学園120年史年表」には追加されました。)